三浦 均(みうら ひとし)

武蔵野美術大学准教授

1962年兵庫県神戸市生まれ。
京都大学理学部物理学科卒業。神戸大学大学院自然科学研究課修了。理学博士。
理化学研究所基礎科学特別研究員などを経て、99年より武蔵野美術大学映像学科に勤務、准教授。
現在の専門はコンピュータグラフィックス。代表的なCG作品に「月の起源」「惑星の誕生」など多数。国立天文台四次元デジタル宇宙プロジェクト開発メンバー。

池内 了(いけうち さとる)
 
総合研究大学院大学教授

1944年兵庫県生まれ。
京都大学大学院理学研究科博士課程修了。
国立天文台、大阪大学、名古屋大学、早稲田大学などを経て、現在は総合研究大学院大学教授。
専攻は宇宙論、科学・技術・社会論。
科学と文学、科学と社会などの関係を模索中。
著書に『禁断の科学』(晶文社)『寺田寅彦と現代』(みすず書房)『物理学と神』(集英社新書)『ヤバンな科学』(晶文社)など多数。

今日のホスト、ゲストのご紹介

縣:皆さんこんばんは。アストロノミー・パブ店主の縣秀彦です。このアストロノミー・パブは、おととし(2005年)の11月から8月を除く毎月やっていますが、今日、登場するゲストは、そもそも僕がこの企画を始める時に「ぜひこの人に来てもらいたい!」とイメージしていた人です。この人に来てもらって、こういう場所で皆さんと一緒に飲んだりしゃべったりしたら楽しいだろうな、と思っていた人・・・総合研究大学院大学の池内了さんです。色々な事情がありまして、なかなか来てもらえずに今日になってしまいましたが、満を持しての登場です。池内さん・・・どうぞ!それからホストは2回目の登場になりますが、武蔵野美術大学准教授の三浦均さんです。ではお2人、どうぞよろしくお願いいたします。

三浦:みなさんこんばんは。武蔵野美術大学の三浦と申します。私はいま武蔵野美術大学にいますけれど、学生時代は天文学を中心に物理学を勉強していました。京都大学にいましたが、池内先生に直接習ったことは残念ながらないのです。でも、学生時代から先生の御著書を中心に、非常に親しませていただきました。とても尊敬している先生なので、今日、初めて対談させていただくことを大変光栄に思っています。僕自身も非常に楽しみにしてきました。

池内:三浦くんとは、あちこち一緒に行ったけどね(笑)。

三浦:早速、厳しい突っ込みですね(笑)。ちょっと最初から裏話をさせていただきますけれども、もう一人池内さんっていう方がいらっしゃいましてですね・・・池内さんのお兄さんですけれど、その方との組み合わせで対談をしたら面白いのではないかという、縣さんのたくらみがあったんです。でも、日程の調整がつかなくて、じゃあ、三浦君なんてどうだろう、というご指名をいただきました。大変光栄に思っています。「一緒に行ったやないの」というのは、おととし(2005年)に、新潟へご一緒したことなどですよね。「森の学校」という、森の中で豊かな自然に囲まれつつ、色々なこと、特に生態学を中心に、地域に溶け込みながら学んでもらう場所があるのですが、それを池内先生が始めたのは2004年ぐらいでしたか?

池内:いや、2001年から、実際は。

三浦:そうですか。池内先生がそういう場所を作られたというのを僕、何かで読みまして、「興味があります」っていうメールを先生にお出ししたら、さっそく「じゃあ、今度僕も行くから一緒に行こう」とお誘いをいただきました。ですから、「対談」は始めてですけれど、色々なところでご一緒させていただいています。
 さて、その「対談」ですが、今日のお題を「新しい博物学」としました。「博物学」というと、「どちらかというと古いイメージがある」と言われることがありますが、池内さんは、それをわざわざ「新しい」という言葉をつけておっしゃっている。気持ちは大変わかるような気がするのですが、今日はそのあたりのことを色々とお伺いしたいなと思っています。それから、今日は「アストロノミー・パブ」ですので、やはりご専門の宇宙論などについてもぜひ・・・。

池内:そうしたらね、(表示してあったパワーポイントを指して)これじゃなくてね・・・(笑)。

三浦:あ、はいはい。こっちですか?(笑。パソコンを操作して別なファイルを表示する。)



「新しい博物学」とは?

池内:私は、「新しい博物学」とはどういうものか、ということを説明するときに、まぁ、こんな例があるだろう、ということで文学の例を挙げます・・・例えば、鴨長明の「方丈記」というのがありますね。「うたかた」っていう言葉が出てくる。「うたかた」については「かつ消えかつ結びて」と続きますが、泡沫、泡のことです。今日のこの場は「アストロノミー・パブ」だから、アストロノミー(天文学)に関係するということで考えると、「うたかた」という言葉で、宇宙と泡構造を結びつけて語ります。泡ってじつはたくましいんだよ、っていう話をするんですね。泡というのは内部にたくましいものを内包している。文字の成り立ちから言うと、この「包む」という字の下の部分の「己」というのは、実は赤ん坊の姿なのです。それをこう、皮で包んでいる・・・つまり、お母さんのおなかの中に赤ん坊がいる姿をとったのが、「包む」という字の象形文字の出発です。だから、もともとは内部にたくましいもの、躍動するものを持っているのだけれども、それを「さんずい」という水でくるんでいるから、「泡」は短命、はかないものになる、という話をするわけですね。つまり文学に出てくる言葉や、ことわざとか歴史、民俗学、さまざまな話や言葉を科学と結びつけて語ってみたらどうなるだろうか、というのが、私の考える「新しい博物学」です。
 旧来の博物学は、僕は学問の出発点として非常に重要だったと思うんですが、大航海時代に珍しい動物や植物を集めてきて、それを分類してというところから成り立っていました。分類学なんて、植物学や動物学だとか、古い学問と思われているんだけれど、それが出発点になって近代科学ができたわけですね。けれども、近代科学は分化しすぎました。分化しすぎているということは、それはやむをえないことで、それはそれで非常に重要なことなんですが、それをもう一度総合化する必要があるだろうと思うのです。「総合化する」というのは、もっと身近なものと結び合わせて、科学を語る必要があるだろう、という意味です。
 そのときに「新しい」とわざわざつけたのは、単に科学を総合化するのではなしに、それを文学や歴史やことわざや落語や、そういうものと結びつけながら語ってみると楽しいのではないか。人々に「あ、こんなことにも科学があるの?文学の一言一言の中に科学があるの?」ということに気づいてもらえるし、豊かになるのではないか、少なくとも楽しいんじゃないのかな、と思うので、それを私は「新しい博物学と」呼んでいるわけです。いくつか本を書いたんですけれどね、あんまり売れてへんのだけれど(笑)。

三浦:僕は、買っているかもしれませんけど(笑)。

池内:知る人ぞ知る、という本ですね(笑)。ここにある(本を指さして)『天文学と文学のあいだ』・・・この廣済堂出版の本は1刷しか出ていない(笑)。この本にも書いていますが、たとえば、清少納言は枕草子で「星はすばる」と言っています。「星はすばる」っていうことばの一つ一つを語りながら・・・紫式部の話が出てきたり、いろんな話が出てくるんですけれども、そういう文学の話題と科学の話題を結びつけながら楽しく語れば、もっと人々は科学に対して、近くなるんじゃないのかなあ、というので「新しい博物学」というのを始めたんですね。
 もう少し例を出してみましょう。たとえば「仏は常にいませども」という梁塵秘抄(りょうじんひしょう)の歌は皆さん、ご存知かもしれませんね。

『仏は常に在(いま)せども 現(うつつ)ならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見え給ふ』(仏は私たちのそばにいつもいらっしゃるけれど、現実の世界で目で見ることができないのは悲しいことだ。けれども、人が寝静まっている明け方に、夢の中でかすかに姿をお見せになることがある。)

という、いい歌があるんですよ〜。僕、こういう歌、好きなの。これを天文学といかに結びつけるか、というと・・・(笑)。この話をある人にしたら、「全然、星も何も出てこないではないか」と言われました。確かに出てこないですが、しかし、強引に結びつけるのが私の「新しい博物学」でありまして。この「仏」をね、ダークマターという言い方に換えたらどうなるだろうと(笑)。「ダークマターは常にいませども、現ならぬぞあはれなる」・・・「うつつならぬ」というのは、「見えない」ということですが・・・見えないのは悲しいですよね。「人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見え給ふ」・・・私は天文学の研究者ですからね、夜中に「あっ!」と思うわけです。「ダークマターってなんだろうな」と考えているうちに、「ああ、見えた!」って思う、という歌になるわけです(笑)。こんな風にね、仏が・・・つまり、私にとっては「ダークマター」ですが(笑)、実際には見えないのが残念だねぇ、ということで、これでやっとダークマターの話、天文の話に繋がるわけです。ちょっと強引ですよ(笑)、強引なのはわかっていますが、そういうふうに結びつけると、天文学の「ダークマター」っていう難しい話も、すこしは身近になるだろうと。そんな試みをやってみているわけです。

三浦:一般の方にも天文のことや宇宙のことをわかりやすく説き起こすって、とても大事なことだと思うんですけれども、先生ご自身もこういう、文学や歴史からご自分が発想して、なにか新しい理論を考えつくとか、そういうことってあるんでしょうか?

池内:さっきの「泡構造」でいうと、僕は一応「泡構造の池内さん」ということになってるんですけれど・・・(笑)

参加者:ビールの泡構造ですか?(笑)

池内:あのね、うちのかみさんにね「何であなたはそういう、すぐ消えるような理論しかつくれないの?」って言われているんですよ(笑)。僕のウリは「泡構造」と「煙突理論」・・・「チムニー・モデル」なんですけれど、「チムニー・モデル」もね、「あなた、煙が消えるようなものを・・・」って(笑)。僕は「チムニーは煙突なんだから、しっかり立っているんだから。」って言ったんですけれどね(笑)。
まあ、言ってみれば「水平思考」なんですね。地上でいろいろ起こっている事柄を宇宙で展開したらどうなるかな、と考えているわけです。宇宙というのは非常にスケールが大きいし、時間も長いでしょう。そうすると、地上では起こりえないことが宇宙でなら起こりうる、ということがたくさんあります。それで思いついた、と言うか・・・だから「新しい博物学」もそういう意味では水平思考ですね。いろんな言葉をヒントにして、いろいろ想像して、何かを作り出して見る。宇宙の場合はあんまり成功せんかった(笑)。はずかしながら宇宙論学者としてはたいしたことをしていない、できそうにないんですが、物語を作るっていうような仕事はしてきたつもりです。


「反発の人生」と「水平思考」

三浦:ちょっと古い話をしますけれども、先生はもともと、ご出身は京都大学です。林忠四郎先生のところで天文学を研究されていました。京都大学は非常にいい加減な大学ですよね。

池内:そうそう(笑)。

三浦:僕は学生時代は成績は悪かったと思うんですけれども、あの大学は希望すれば誰でも、好きな専攻に進める。入学試験は大変なんですけれどもね。いったん入ってしまうと自由に、勉強したい人は勉強する。池内先生は出発点としては林先生のところで宇宙のことを勉強しはじめたわけですよね。それと、今の「水平思考」の、色々な地上の現象と絡めて考えていらっしゃるということとの関係ですが、宇宙だけじゃなくて物理全般のことに取り組んでいらしたと思うんです。そういうことと「博物学」とはやはり、関係が深いのでしょうか。

池内:単純にいいますと、私の人生はね、反抗の人生でありまして(笑)。反抗というのかまあ、マイナス指向というか・・・。悪く言えばマイナス指向、良く言えば反発の人生です。さっき兄がいるっていわれたでしょ。池内紀(いけうちおさむ)っていう、私よりずっと有名なドイツ文学者です。まぁ、ドイツ文学というより温泉についての本のほうが有名かな(笑)。今日は来ていませんが、彼は三鷹のすぐそこに住んでいるんです。4歳年上なんですよ。僕はずっと小さいころから兄貴を乗り越えたい、勝ちたいと思っていた。だってね、かけっこしても相撲をとっても、勉強してもね、子供にとっては4歳っていうのは超えがたい差なんです。ところが兄貴が高校に行ったころから、私は兄貴の弱点を見つけた。数学と理科ができないという(爆笑)。そうするとね、「あっ、僕は兄貴に勝てる!」(笑)。要するに数学か理科をちゃんとやれば兄貴に勝てる、と言うので実は理系に来たんですよ。
 京大の林先生って実に立派な先生です。非常に厳密で、こまかいとこにもきちんと気がついて。僕なんかしょっちゅう怒られていましたね。林先生という方は、怒る相手を決めるんです。それが僕だったんですよ・・・なぜならば、ケロッとしているから(笑)。怒られても翌る日にはケロッとしている。僕はしょっちゅう怒られていましたが、実は怒られた分だけ、林さんを抜く方法はないか、というのを考えたんですね。その結果として、林さんは実に厳密で、僕に言わすと・・・僕はね、「微分型」「積分型」とよく言うんですが、「微分型」というのはある一点でも細かく細かく徹底的に突き詰めてやるタイプね。林さんがそうです。僕は、だから、これはあかん、同じことをやっていたら負ける、と。それで自分は「積分型」で、全体を見わたして、あれこれあれこれ総合して話を作るというやり方がいいのではないか、と考えたわけです。全体を見渡してあれこれつくるためには、何をすればいいのか・・・それがいちばん難しくてね(笑)。それで思いついたのが水平思考・・・ラテラルシンキング(lateral thinking)なんです。実に単純な話ですが。林さんには大学出てから20年間、文句ばっかり言われていました。「池内君、何をやっとんねん。」・・・もう辛かったですよ。林先生の研究室の助手になったんです。5年間いたんですけれどもね。辛かったなあ、あの時は。いつでも「池内君は…」ってみんなに言うんですよね、院生の前で。こう言っても大丈夫だと思うから言ってるんだろうけれども、そういうのが辛かったですよね。でも先生の前では辛いという顔を見せずにケロッとした顔してましたよ、僕は。それで北大(北海道大学)に行って実に気楽になって好きなことをやれた。水平思考って言うのはこれも反発の、林先生に対する反発のひとつのスタイルですね。

三浦:京都大学って、僕も色々な先生に言われましたけれども、物理だけじゃなくていろんなこと勉強しなさい、何でもやりなさい・・・カリキュラムも自分で考えなさい、っていう先生が多かったと思います。

池内:僕も林先生に叱られたけど、仕事内容で叱られたわけじゃないんですよ。仕事内容よりか結果を出さなければだめだ、そのかわり何をやってもいいと。だからその意味では、20年ぐらいたってから、やっと、「池内君もいい仕事してるらしいな。」ってひとこと言ってもらって・・・。あれは嬉しかったなぁ(笑)。もっと早よう言うてくれよ、って思ったけど(笑)。林さんも別に、自分のやり方だけを評価しているわけではなくて、いろんなやり方を見ながらちゃんと仕事を開花させれば評価してくれるんだなあと思いました。



本棚の生物学全集の理由

三浦:話はまたちょっと飛ぶんですけれども、池内先生、国立天文台にいらしたこともありましたよね。何年間かいらっしゃいましたよね。

池内:7年間・・・8年近く。

三浦:僕もそのころ天文台でうろうろしていた時期がありまして。その時に、池内先生のところにいた知人から「ここが池内先生の部屋です」って、先生の部屋を見せてもらったことがあるんです。本棚を見ると、たしか生物学の教科書のシリーズがズラーっと並んでいて・・・。いやほんとに生物学の勉強もされている、関心広い人やな、と思ったんですけれど。あれは・・・何でだったんですか(笑)。

池内:国立天文台にいた時代は、まだほとんど本を書いてなかったんです・・・そろそろいろんなところにも手を出したいと思い始めた頃で、いろいろな本を買ったり・・・。実はあんなの全部読んでるわけじゃないんだけど(笑)。ちょっと何か参考になるかなと思うときに、シリーズで出ているやつは全巻買わないと、なんとなく落ち着かないんですよ。でも全部は読まないの(笑)。チラッと見てね、これはここに書いてある、とか思って見ておいて、後から調べる時に簡単に調べられるようにと思って買った。それを、君みたいな人がね、見に来たときに感心できるように(爆笑)、いろいろ広い関心を持ったほうがいいよっていうことを示すためにね(笑)。

三浦:僕も今、大学の教師の端くれをやってますので、ちょっと参考にさせていただきます!(笑)

池内:それは絶対に必要なことでね(笑)。文章を書くようになって、40歳を過ぎてからですが、一切、物書きは大学ではやらない、大学では論文を読む時間にする、と決めていましたね。(場内から:「ほぉ〜」と感心の声。)物を書いているということを院生に見られたら恥ずかしいっていうか・・・院生に侮られるという気がするんですよ。先生は大学に来て原稿を書いてるわ、と思われると嫌だから。今はあまり院生は来ないけどね、一応、貫徹してて。その代わり逆に言うとね、もう今日は、早よう帰ろうというときは、家でやろうと思うわけです。物書きは全部、家でやるんですけれどね。それでもちゃんと生物学の本とか鉱物学とかいろいろ並べていたと思いますが、そういう本は目次だけ読んで、頭の中に仕入れておくという、まあ、そういうやり方です。


イメージ

藤原定家も博物学者

三浦:これ(パワーポイントの画像を指して)続き、もうちょっと見ますか?

池内:次は、有名な定家の「明月記」。これは星が直接出てくるんですね。あ、ちゃんと僕の本の宣伝(「天文学者の虫眼鏡〜文学と科学のあいだ〜」文藝春秋社)もしてありますが(笑)。本の題名の意味は、「天文学者は虫眼鏡で古文書を漁るようになった」という事ですが、これはなぜか?という話をするわけですね。定家は「丑時 客星、シサンの度に出ず」って書いています。あ、このことを僕が書いた文章が高校の教科書に採用されているんです。嬉しくてね。高校の教科書にはいくつか採用されてるんですけれども、この文章はうれしかったなぁ。まさに、天文学と文学が実は非常に密接な関係にある、ということがわかるわけです。定家っていうのはまさにそういう人ですよね。
 定家は、超新星の記録を3つ、日記に書いているんですけれども、なぜ3つも書いたかというと、定家は官僚だったからです。定家は宮廷官僚だったんですよね。宮廷歌人といわれていて、すばらしい歌人、自由人のように見えるんだけれど、実は官僚だった。で、官僚は何をするかというと、前例を調べるのが仕事(笑)。彼は、夜空に彗星とか流れ星とか、隕石が爆発するのを目撃した。「天中光るものあり」という文章があるんですよ。実に見事な文章、漢文で書かれているんですけれどね。もともと、彼の明月記は全部漢文ですが、その観察の記録が実に見事なんですよ。一度読まれたらいいと思いますけどね、その部分だけね。ぼくも明月記を全部読んだわけじゃなくて(笑)、そういうのが載っているところだけ見てるんですけど。彼は何か現象を見るとすぐに古文書に、過去にどういうことがあったか、ということを徹底して調べる人なんですね。そういう意味で官僚なんですよね。そうするとね、超新星の記録が3つも残ってたんですよ。それをもう綿密にね、どの方向に見える、どのような明るさであるかというのを、ちゃんと記録してるんですね。古い記録を自分の日記に書き写しているわけです。僕は、定家もある種の博物学者であったと考えています。定家もある現象を見たときに、それに関連するものがあるのかなというふうに、つないでいったわけですね。

 定家の庭には500種類の植物が植わっていたらしいです。それはいろいろ送られてくるからもらったという部分もあるんですけれども、やっぱり彼はいろんなものを楽しんでいたんだろうなぁと思うんですね。そういうふうに、定家の歌だけではなしに、こういうものを通じて定家というのはどういう人であったか、というのを知るっていうのもまた、面白いことなんじゃないかな、と思うんです。我々科学者は人々に科学を伝えるということを、もっと楽しく普段にあるように伝えたほうが、僕はいいと思うんです。つまり「定家というのはこういう人よ」ということから、こんな星の記録も書いているし、植物の記録も書いているし・・・というふうなことで親しめたら、もっと近づけるんじゃないのかな、という気がするんですね。だから、分野ごとに分けて書くのは、僕はあんまりよくないなと思っています。ひとつの物語として、科学と人間の歴史、人間の歩んできたことと結び合わせると面白いんじゃないかなと。

 


「天文学者の虫眼鏡
〜文学と科学のあいだ〜」 池内了著
文藝春秋社



科学のつながりを回復するために

三浦:そういえば博物学って、たぶん明治期にできた言葉だと思います。英語でなんていったかな、と考えてみたら、natural history ですよね。つまりhistory、歴史です。フランス語だとhistoirとなって物語という意味も含んでいます。物語とか、お話のようなもの、という文脈が「博物学」にあるのかなあって思うんですけれど。

池内:そうだと思いますよ。だとえば「セルボーンの博物誌」(ギルバート・ホワイト著)っていう面白い本があるんですね。あれ読むと、クモがバルーンに乗って飛んでいく話とかね・・・鳥の話が多いんですが、鳥がどんなものを食べるとかね、どういうふうな季節ごとにどう変わるとかね、いろんな、ごった煮なんですよ。ごった煮の中に「自然を見ているな」という感じがします。自然をそのまま受け入れるとともにね、さっきのクモが風に乗って飛んでいくというね、それでクモがどんなふうに広がっていくか・・・なんて、想像するわけですね。
 鳥が餌を取るときに、虫を取りますね。たとえば一羽の鳥・・・ツバメが、子供のために一日に虫をどれぐらい取るか・・・いや、それを調べている人がいるわけよ。子ども1羽のために1日50匹とるんですね。それで子どもが6羽おると、300匹ですよ。で、自分も食べなければいかんでしょ。自分は300匹ぐらい食べるんですよ。そうすると600匹とるんですね。それをちゃんと双眼鏡で見てね、虫を子どもに何匹やっているかを調べている人がいる・・・これはすばらしいでしょう?僕はやれないけれどね(笑)。そうするとね、ツバメの夫婦だと900匹とるわけね。子どもに300匹、夫婦300、300で、900匹とってる。毎日毎日ね。それを思うとね、自然界のすごい絶妙な仕組みになっているということがわかるでしょう。900匹の虫をずーっと探し回ってとっているわけでしょ。ツバメは何百羽、何千羽といるわけでしょ。逆に言うと、鳥を虫が捕らんようになると、どれだけこの地球には虫だらけになるか。こんなふうにちょっと広げて考えてみると、非常に面白くなるんですよね。我々の生活と密接な関係ができてくるわけね。
 虫はやわらかい葉っぱを食べるので、虫が這い出てくるころには、若葉が萌え出てないといけない。その季節がちょっとずれると、葉っぱが硬くなるともう虫は食べられないわけ。虫が出るころには若葉がちゃんと、萌え出んといかんわけです。というふうに、生態学的な連鎖っていうのは、広げて考えると、どんどん伝え合ってくるんだよね。生態系だから余計そうだけれど。科学の世界っていうのは、実はそういうつながりがあって、本来はつながりを求めてきたものだけれども、いまや細分化されて、ばらばらになってしまったから、つながりが読めなくなってしまった。もう一回つながりを回復しようっていうのが僕の考え方です。

三浦:そうですね。僕自身も大学院のころに、そういうことでちょっと悩み出した頃がありました。今、若いポスドクや大学院の学生とかと話していても、やっぱり研究がつらいっていう時期があるみたいです。つまり、サイエンスっていうのはすごく細分化されていて、本当は自分はいろんなことに関心を持っているんだけれども、研究者になるためには、ここの、この部分のことだけに限って考えなければいけない。つまり、研究を続けるためには関心を広く持つことができないっていう、ちょっと矛盾したところで悩むことが多いようなんです。

池内:そういうことで言えば・・・僕は、ちょっと自慢して言うと、日本で唯一、七大学を渡り歩いてきた人間です。日本で唯一っていうのは、これだけですけれどね(笑)。
(ここで、池内先生が1杯目のビールを飲み干されたので、スタッフが2杯目を運ぶ。)

「セルボーンの博物誌」
ギルバート・ホワイト著



信長の地球儀

参加者:途中ですが、ひとつだけ質問を入れてもよろしいですか?今出ているスライドに書いてありますが、織田信長に地球儀を進呈した人っていうのは、誰なんですか?

池内:えーっと、何とか神父さんです。要するに当時たくさんのバテレンというか、キリスト教の神父さんが来られたでしょ。その中のだれかが地球儀を贈ったんです。
 たぶんね、織田信長自身は地球が丸いと認識していたと考えられます、彼個人はね。しかし、一般的ではなかった。誰もが思っていたわけじゃない。誰もが思うようになったのは渋川春海が「『地球』は蛮人リマティこれをつくる」と書いてから、広まったんだと思います。本当に広まったのは明治かも知れませんが。「リマティ」というのはイエズス会の宣教師マテオリッチのことですが、マテオリッチは自分の名前を中国名で「リマティ(利瑪竇)」としたくらい中国に溶け込んだ人で、中国語も堪能だったのです。それで「地球」と言う言葉を中国語で作ったんですね。

三浦:地球が丸いっていうことを、とても古い時代の人たちは知っていた時期がありますよね。古代のギリシャの人たち。地球の大きさを測っていたりしますよね。

池内:ギリシャ、たとえばアリスタルコスかな・・・。あのあたりではね、たとえば月食のときにお月さんの上に映っているのを、あれは地球の影だ、ということを既に知っていて、地球は丸いということも理解していたみたいですね。


<地球儀>イメージ

ミレトスの風景

三浦:僕ね、池内先生にお見せしたい写真があるんです。去年(2006年)の春にトルコで日食がありましたよね。僕、あのときにトルコに行ってまして・・・この写真、ミレトスなんですよ。ギリシャ哲学の「ミレトス派」の拠点だったまちです。哲学者や自然学者が集まっていたまちですよね。

池内:ミレトスって、トルコなの?

三浦:今はトルコです。昔はギリシャの文化圏だったんですけれども、現在の区分で言うとトルコで地中海に面しています。いまこんなふうに遺跡が水没したような景色になっています。訪れる人あんまりいないですけどね。もともとは海がすぐ近くまで来てたんですけれども、今は海が後退してまして、30キロぐらい先にあります。このあたりが町の中心部だったところなんですけれど、それが水没してこんなかたちになったらしいです。

池内:僕は去年、ギリシャのロードス島に行って来た。星を見るための古い台がありました。

三浦:ロードス島ですか!いいですね〜!こういう、年間通してすごく天気もいい、気候もいいところで、目の前にきれいな海があって。地中海でいろんな貿易をしつつ、いろんなものが集まってくる。そういう町の中でタレスはじめ、いろんな哲学者、自然科学者が出てくる。すごくいい時代だったのかなあって思いました。

池内:それはねえ、まあいい時代だったでしょう。それはね、こういういい方したら怒られるけど、2万5千人の市民に対して10万人の奴隷がいたんですね。要するに哲学者っていうのはみんな昼間から歩き回ってしゃべって、酒飲んでたかどうか知らないけど(笑)、議論して、それで一日暮らしていたわけでしょう。それは10万人の奴隷がいたからですよ。

三浦:仕事しなくてもよかったんですね。

池内:こんな話になるとしーんとしちゃうんだけれど、逆に言うと、文化っていうのは暇がないとできない。奴隷の労働によって支えられていたっていうのはおかしい、それは絶対おかしいのだけれど、しかし、われわれの生活の中で、暇、余暇、余った時間というのを文化のために使うというのは、それはたぶんものすごく重要なことですね。
 ところが今は少し様子が違っています。「科学・技術と社会」っていう講義を大学院で担当しているんですけどね・・・そこでいつも言うのは、「パラドックスである」ということです。人間は暇な時間、自由な時間をつくるために便利なものをどんどん発明した。にもかかわらず、逆にいうと、発明したことによって、どんどん忙しくなる、と。暇な時間がむしろなくなっている、これはおかしいんじゃないか。
 だから僕はいつでもいうんだけれど、例えば「私はケータイは持たない」・・・使いたくないのもあるんだけど、ぼくは機械音痴だからね(笑)。それから、「車に乗らない」とかね・・・車には乗るけれど、自分では運転できない。「メールも大学でしかやらない」・・・家では絶対やらない、というふうに、自分の時間を確保しなければならないんだけれど、便利にするっていうことが、逆にいうと、自由時間を失っていくという現実がある。だから、僕は「今」がおかしいんじゃないかと思うんですよ。と言うて、それを全否定するわけじゃないですけど。
 僕がしょっちゅう言っているのは、「かつては、必要は発明の母であった。今は発明は必要の母になった。」ということです。たとえば携帯電話は、少し前まではポケットベルだったわけでしょう。そのまえはトランシーバーだけど。まぁ、トランシーバーはいまだに使っていますけれどね。いったん携帯電話が発明されるとGPSをつけ、音声をつけ、あらゆるものをつけてゆくわけ。そうすると、みんなね、いったんできると「ああこんなものが欲しいわ」と思うわけ。それに企業が乗って作るわけでしょ。欲望を拡大するために、システムが作られていくっていうね。
 それがおかしいと思ったので、「テクノロジーとの付き合い方」っていう文章を書いたことがあるんですよ。これも高校の教科書に採用されたんですけれど(笑)。それにはね「どっかで拒否しなさい」って書いてるんですね。それが高校の教科書に採用されたということは、その編集者が見識があった、と僕は思っているんですけれどもね(笑)。どっかで拒否しなさいと。永遠に技術に追いつくことはありえないんだ、どっかで拒否して、これでいいんだというふうに、落ち着けばいいのだ、と。
 これはしかし、「科学・技術とどう付き合うか」という話です。先ほどの「新しい博物学」は「科学をどう自分たちのものにするか」ということですが、もうひとつ大切なことはこの、「どう付き合うか」ということなんです。我々はあまりにも受け入ればっかりしている。どっかで拒否する論理があってもいいんじゃないか。でも僕は、科学を否定しているわけじゃないんですよ。ちゃんと選ぶ、ということですね。選ぶということがものすごく大事だ、っていうことなんです。

<トルコ/ミレトス> 撮影 三浦 均

<ロードス島> イメージ

 

4D2Uと「イカロス失墜」の共通項

池内:僕の話ばっかりしていてもいかんから、ここで三浦さんの話をしましょう。三浦さんは天文学出身で、まさに科学や技術の最先端の仕事をされていて・・・今は美大の先生ですが、どういう仕事をされているかをちょっと紹介してください。

三浦:ちょっとしたムービーを持ってきましたので、ぜひそれを見てください。今日は国立天文台の関係者の方もたくさんいらっしゃっていると思いますが、国立天文台で4次元デジタル宇宙プロジェクトというのを数年前からやっていまして、僕はその開発メンバーに当初から関わっているんです。このプロジェクトは2年前から「ドーム・プロジェクト」という新しいステージに入りました。国立天文台三鷹キャンパスの中に直径10メートルのドームを作りまして、これがつい先日、4月28日に一般に初めて公開されました。国立天文台には3面のスクリーンもありますし、この三鷹ネットワーク大学でも平面のスクリーンで「4次元デジタル宇宙シアター」をやったことがありますので、ご覧になったことのある方もいらっしゃるかもしれません。今までは平面のスクリーンで立体視していたものを、ドームで立体映像を楽しむというシステムは、世界で初めてなんです。
 10メートルのドームの中で立体映像を見ると、すぐ手前にまで、本当に顔の近くまでものが来ているように見えるわけですね。それから、10メートル先に壁があるわけではなくて、遠近感がついていますので、ずーっと遥か彼方まで空間が広がっているように見えます。宇宙空間の映像をこのドームの中で立体で見ると、自分が宇宙の中に投げ出されるような、そういう体験になると思います。
 そのドーム用に作っているコンテンツがありますので、ちょっとさわりだけお見せしましょう。今日は平面のスクリーンが1面だけで、立体視ではありませんが、本来はもっとたくさんスクリーンがあって・・・その正面の部分だけ、ちょっと切り出して見ていただきます。これは天文台の小久保さん(国立天文台理論研究部准教授)が主要部分を計算したものなんですけれども、太陽系の中で地球がどういうふうにできていくか、というデータをもとに、僕がコンピュータ・グラフィックスで再現したものですね。
 この映像は最初に粒子が数万個あって・・・真ん中に太陽があるんですが、その周りで重力の計算をして、最後段階のこの状態は、20個ぐらいの大きな惑星、原始惑星が残ったというステージです。ここに赤い星がくるくる回ってるんですが、これが奥の方に回ったところで・・・そろそろ衝突します。実はここでちょっと時間のスケールが変わるので、まわりの動きが遅くなります。僕は映画が好きなので、肝心の衝突のところはマトリックスみたいに、スローモーションで見せたい、と言ったら「お前、ちょっとそれはやりすぎだ」といろいろ周りから批判を受けました。でも、「やりたいからやらせろ」といって無理やりやったんです(笑)。この部分は実は、トリックというか・・・2つのシミュレーションを合わせて使っています。周りの星の動きは、ちょっと専門的になりますけれど、N体計算(多体計算)という、星一個一個の動きを重力で計算しているものを使っています。衝突を起こしたところは、SPH計算という別の計算方法を別の研究者がやってまして、それを組み合わせたものなんですね。これもやっぱり「カット割りで見せたほうがいいんじゃないのか」とかいろいろ言われてたんですが、僕はこれは、宇宙の太陽系の環境の中で星が衝突しているというのをぜひ見せたいと思って、かなり強引にがんばって作ったんですね。しかも「どうせ作るならもっとスクリーンの真ん中でガーッと映せよ」ということも言われたんですが、これにはね、僕はこだわりがあって、遠くのほうで見せたいんです。理由の1つには、使っている計算がまだちょっと確かでないところがあって、あんまり近くで見せたくないっていうのもあります。

 でも、一番のこだわりは・・・ちょっといきなり美術の話に飛びますが、この絵が関係しています。これは、有名なブリューゲルっていう人の描いた絵で、タイトルは「イカロス失墜」です。この絵の中でイカロスはいったいどこにいるんだ、というと・・・。えっと、(絵の右下の方に小さく、海に堕ちたイカロスがいる部分を指して)ここにいるんですね。この絵を中学校ぐらいのときに初めて見て、すばらしいというか、ものすごく感動したんですね。「イカロス失墜」だったら、イカロスの翼がとれて墜ちてくるところを、この真ん中の辺りでドラマチックに描けばよさそうじゃんと思ったんだけれども、こちらに農夫がいて仕事していますよね。この人はたぶん天を向いて・・・なんでしょうね、神様に祈っているのか、イカロスがどっかに墜ちていったなと思っているのかも知れません。ここで、こう普通に羊飼いが仕事をしてですね。向こうのほうには港町があって、いろんなところからいろんなものを運んでいたりする、人々の色々な日常があってですね・・・その中で、イカロスがここでぽとんと墜ちている。これがやっぱりねすごいな、と。この絵を描いた人はすばらしい人だな、と思ったんです。
それで、先ほどのムービーの話に戻りますが、「惑星の衝突」をやるときに、僕はこのブリューゲルの絵のようなCGにしたいと思ったんです。そういうことを考えて作っていましたが、普通に研究者に言っても、なかなかわかってもらえない(笑)。今日のこういう場だからこそね、皆さんにお話しできて嬉しいです。本当に、こういう場を作ってくれて縣さんには大変感謝しております。

<4D2U>
CG作成 三浦均、SPH計算 玄田英典、
N体計算 小久保英一郎

↑クリックすると画像を大きくして
ご覧いただけます。


<イカロス失墜>

誰のための「科学」か?

池内:研究者に理解してもらうなんてのも、考える必要がないんです。一般市民の人が、ああ、そうか、っていうふうに思うようなものを作るのが一番いいんじゃないかな。それで、僕の「新しい博物学」でいうと、ブリューゲルっていう人間の偉大さっていうのはね、これはね、山本義隆が最近出た本の中で書いていますが・・・全部読んだわけじゃないんだけど(笑)・・・ブリューゲルっていう人が遠近法を、もう実に科学的にやった人なんですが、それ以外に実にいろんな絵を描いてるわけね。農民の生活とかね。山本義隆は、16世紀という時代が、次の科学革命を呼んだ実は助走の期間だった、という主張をしています。そんなふうにして、やっぱりね、これもまた総合的に見る、いろんな視点でもう一回歴史を見直してみたら、もっともっと新しい発見があるよ、ということなんですよね。ブリューゲルっていう人の絵は、たとえば「バベルの塔」の絵も描いてますが、実に含意に富んでいる・・・意味があって深いよね。あの時代の、ブリューゲルの目でもう一回、当時の世界を見直してみたり、ブリューゲルをもうちょっと客観的に見て、ブリューゲルの時代から・・・ルネッサンス終わりごろになるのかな、それで科学革命の時代が、そのちょっと後からくるわけですが・・・そのあたりの歴史の流れをもう一回見直してみたら実に面白い。「新しい博物学」も、そういうものを目指しているんですよね。もう一回、ブリューゲルの絵を見ながら考えることっていうのを、なんかこう、書きたいなと思うんですよね。

三浦:僕もぜひ博物学についてこれからも考えて行きたいと思います。僕は、「新しい博物学」という池内さんの言葉で、自分がもやもや考えてきたことに形をもらった、というか、こういう言葉があって、それを手がかりにして考えてやすくなったと思っています。補助線を引いていただいたような、そういう気がしています。どうもありがとうございました。

縣:三浦さん、ファーブルの話はよろしいんですか?

三浦:あ、そうですね。ファーブルって昆虫記で有名ですけど、岩波から出ている「ファーブル博物記」っていうのがあるんですよ。子供向けの本なんですけど、すばらしい本です。全部で6巻ぐらいあるんですけれども、そのうちの第4巻というのがですね、日本語の題は「身の回りの科学」ってなってるんですが、原題はフランス語で、「家事」っていうんですよ。家事って、いろんな台所仕事、家の仕事ですね。ある物知りのおばさんが3人の姪っ子たちの質問攻めにあいながら、台所を中心に、いろんな料理の話だとか、「洗濯はこうやったらきれいになります」とかね、「あなたの着ている服は、遠い外国で綿を栽培し、そこから糸をつくり、さまざまな人の手を通してつくられてるんですよ」というふうに、100年前のファーブルが書いてるんですね。これ本当にすばらしい。文章もすばらしいです。昆虫で有名なファーブルがこんな本も書いているんだなあって感心します。
 ファーブルの昆虫記を一番最初に日本語に訳した人っていうのが・・・大正時代の話ですけれど、これがなんと、関東大震災で暗殺された大杉栄なんです。かれは非常に喧嘩っ早い人だったらしくて、よく喧嘩をしては半年くらい牢屋に放り込まれる。牢屋に入れられたら暇だから、そこで自分はひとつの外国語を身につける、と決めていたらしい。で、牢屋に放り込まれるごとにいろんな言葉を身につけ、それでファーブルを訳しているんです。フランス語できるから。なんで大杉栄がファーブル、って思うんですけれども・・・彼は通常は社会科学者って言われていますが、社会のことをやる人間っていうのは自然のことも知らないといけない。で、ファーブルの本に触れて、果たして彼はすごく気に入って、それを訳そうとしたっていうんですね。非常に惜しい人を失くしたと思うんですけれども、当時のああいう人たちっていうのは、物事をそういう狭い専門的なところに閉じ込めないで、非常に広い視点で見ていたんだな、と思います。

池内:ファーブルの話に関しては、ぜんぜん違う話だけど・・・日本での逸話があってね。ファーブル昆虫記の中に、パスツールの話が出てきます。ファーブルのところにパスツールが訪ねてきた、という話。フランスで蚕の病気がすごく広がって、その退治のためにパスツールが呼ばれた。パスツールはそれまでは蚕に関して一切知らなかったので、ファーブルに聞きにくるんですね。「蚕のことを何も知らない人間が、こんなことをやってできるんだろうか。」というふうに疑問を投げかけたそうですが、しかしながら、パスツールは蚕の病気を退治した・・・そういう話があるんですが、この話について日本人の、ある先生が「ファーブルはこんな馬鹿なことを言った。」って言ったんですね。要するにね「近代科学っていうのは何も前提の知識を知らなくても、それを始めたら、とことんやれば全てわかるのである。」と。
 なるほど、とつい思っちゃうでしょ。しかしね、ぼくはやっぱりパスツールの精神を、ファーブルが後の世代の人に知ってもらいたいと願って「昆虫記」の中に書いたんだと思います。パスツールのように蚕のことを何も知らなくても一から調べて、きちんと知ってきちんと押さえて、それでどう考えるのかということを、ファーブルは知っていてほしいと願ったんだ、と僕は思うんです。確かに、パスツールにとっては、敵は基本的には細菌なんです・・・蚕の病気だろうと何だろうと。それはそれで近代科学として成功したし、すばらしいことである。だから僕は否定はぜんぜんしない、肯定しますけれど・・・。でも、ファーブルを全否定する近代科学って、どうなのかなあ、っていう気はするんです。

 

質問タイム:ダークエネルギーと「エーテル」

縣:面白いお話は尽きませんが、このへんで、参加者の皆さんからご質問を受けたいと思います。質問用紙を回収している間に・・・アストロノミー・パブは今夜が18回目ですが、この席に座っていてビールをお代わりしたゲストは、池内さんが初めてですね!(笑)
それではまず、最初の質問・・・池内さんに質問です。「ダークマターやダークエネルギーの存在は、天文学が未だ、自然科学の中で未完成段階にあるということを示しているように思われてなりませんが、その点についてどう思われますか?」

池内:はい私はまさに、そう思います。まあ、僕はバランス派ですから(笑)半分肯定して半分否定する・・・と考えるとですね(笑)、ダークマターはしょうがないと思っています。この30年くらいの研究の積み重ねがありますし。ダークマターとダークネルギーの両方ともに言えることは、正体が何もわからない、捉えられていない、ということです。しかし、ダークマターの場合は30年の実績があって、まあ、何か見つかるだろうと思っていますが、ダークエネルギーの方は・・・ちょっとね・・・やり過ぎじゃないのかな、と言う気が、僕はどうしても、しています。

縣:と、言うのは?

池内:つまりね、観測に合うように入れた、ということです。それはまさに、観測結果が要求するように入れているわけですけれども、正体どころか、どういう物理量で働くものなのかもわかっていないんですよ。どういう風にして決定すればいいか、もよくわからない。ダークマターの場合は実験をやっているんですが、ダークエネルギーの場合は実験もできない。こんなの入れていいのかな〜(笑)。

場内:(笑いとともに、ざわめきが起こる。)

池内:私はね、「エーテル」(注)の復活ではないか、と思っています。

場内:(参加者一同、思わず「あ〜!」と感嘆の声。その後一瞬、しーんとする。)

池内:「エーテル」を追放するのにアインシュタインの天才が必要であったように、何か、天才が必要かもしれない。私は天才じゃないから、ぶつぶつ言うだけ(爆笑)なんだけれど・・・けれども、ダークエネルギーの考え方は、あの「エーテル」のように、何か今までの考え方に束縛されて「これしかない」と思っているんですね。全然違う考え方を取れば、違う解決の方法があるのではないか。

縣:(解決までに)何年くらいかかりそうですか?

池内:・・・難しいな。天才が出てこないといけないかも知れんし・・・10年、20年のスケールが必要かもしれないけれど。でもね、「エーテル」の場合は、ホイヘンスが「エーテル」について述べてから300年でしょう。今、時代は加速されているから、10分の1だとしても30年。一声30年かな?(笑)

縣:次の質問へ行きます。三浦さんに質問です。「大学では学生さんに天文学とアートの関係をどのように話していらっしゃいますか?」もともと天文学者で、今は美大の先生ですが?

三浦:そうですね。そもそも学生は、僕が天文学やっていたってことを知らない子が多いです(笑)・・・「CGの先生」「アニメーションの先生」あるいは「よくわからない先生」っていうところでしょう。僕は学生が、4年生くらいになったり大学院に上がってきたりして、映像を作り始め、作品を作ったりして・・・そうすると悩み始めるんですよね。難しさがわかってきて。そういうときに、例えば天文学の話であるとか、自分が考えているちょっと哲学っぽい話なんかをすると、お互いにすごく通じ合うところがあるので、長い目で見るようにしています・・・答えになっているのかな?(笑)

縣:(参加者に)もしも、もう少し聞きたいことがあったら、後のパブタイムで聞いてみてください。それでは、最後に池内さんに質問です。「科学を文学などへ関連づける方法をお聞きして、とても興味を覚えました。仏教では、入滅後56億7000万年すると弥勒菩薩が現れて人々を救うとされています。約50億年後というとちょうど、太陽の寿命と同じくらいですが、これは偶然の一致でしょうか?」(爆笑・拍手)

池内:56億7000万年後ですよね、弥勒さんが現れるのは。それまでは地蔵菩薩さんが助けてくれているんですが・・・偶然の一致かなぁ・・・(笑)。偶然の一致かどうかは別として、僕は、神話や宗教について「直感を得ている」、ということは評価しています。例えば、「宇宙は卵から生まれた」という神話がありますが、我々は今、エネルギーに満ち満ちた真空をイメージして宇宙の誕生を論じているわけです。それと「宇宙が卵から生まれた」というイメージとは、直感性としてはいいと思う。数値があっているかどうか、は別ですが。時間論から言うと、我々はどんどん流れる時間を生きているけれど、1つには「回っていく時間」という考え方も必要なのではないかと思う。これは、東洋的な転生輪廻の発想に近いですが・・・転生輪廻というとちょっとイヤですけれど・・・時間を一方的に流れるものではなくて、ゆっくり・・・戻ったりしながらゆっくりゆっくり流れていくようなものとして捉えるという発想もあると思います。先ほどの「56億7000万年」というのは、まぁ偶然だろうと思います・・・たまたま数字があっただけだろうとは思いますが、むしろそういう、回帰するような時間論というのは、僕はものすごく大事だと思っています。

縣:確かにそうですね・・・。後ろにも貼ってありますが、「宇宙図」というのを三浦さんとご一緒に作ったんですけれど、星の一生が回転しながら次々と、徐々に出来てゆく、という世界観ってあっても良いかもしれませんね。

池内:そうそう、僕は、「進む時間」と「廻る時間」と言っているんですが、いろいろ廻りながらゆっくり進んでゆく、螺旋階段のようにね、そういう風に世の中が変化しているんだ、という発想はものすごく大切だと思います。

縣:それでは、この後、パブタイムに移りたいと思います。池内さん、三浦さん、どうもありがとうございました!

(注)「エーテル」:エーテル(Aether)は、「きらきら光る」という意味のギリシャ語。19世紀以前の物理学で、空間に充満していると仮想されていた物質。麻酔薬などに使われるジエチルエーテル、(俗称エーテル)のことではない。


   ←パブタイムの様子   

    

 ↑パブ定番メニューが並びます。

 

←三鷹ネットワーク大学内にある緑の柱にも、池内さんのサインをいただきまし た!
  他にも出演された著名人の名前がたくさん
書かれています。みなさんも見つけてみてく
ださいね☆

 ↑本日のお土産セット               ↑池内さんファンへ、本にサイン!

2007-5-19